オリジナルロックグラス;φ75mm×h88mm *クロス付
エッチングされた文字に金箔貼りが施されており、格式高い雰囲気に仕上がっております。
底の彫りと金箔貼りが大変豪華です。硝子を通した金の美しさもオススメのポイントです!!
前田慶次の略歴(米沢説)
前田慶次は、旧海東郡荒子(現在の名古屋市)に生まれました。
父は織田信長の家臣滝川一益の一族と伝えられています。後に、母が前田利家の兄利久の後妻となったために養子となり、前田姓を名乗り慶次郎利益となりました。
織田信長の死後、豊臣政権時代に前田利家は能登の旧領に加え、加賀二郡を加増されます。
このとき利久と慶次は利家を頼ることとなり、利久は七千石を与えられ、内五千石を慶次に与えています。
小田原征伐や佐々成政との戦いで武勇を上げました。
利久没後、前田家を出た慶次は京都に身をおき貴人、文人との交流を盛んに行い、悠々自適の生活を送っていました。
この時期に直江兼続に出会ったと考えられます。そして、兼続を通して上杉景勝に接し、武と真義を誇る景勝に惚れ込み、上杉家に仕官しました。
関が原の合戦敗戦後、上杉家は会津百二十万石から米沢三十万石に減移封。
慶次は米沢に残り、堂森山近くの清水のほとりに庵(無苦庵)をかまえました。
慶長17年(1612年)6月4日、70歳で生涯を閉じたといわれています。